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新しくなる「お札」の方々の戒名

記者―五年後には新しいお札が発行されるようだが、没後にお札の「顔」になる偉大な人物の「戒名」はあるのだろうか。
メモリアルホール「美空」を運営する㈱平和堂典礼の代表に聞いてみた。

代表―「5千円札」の津田梅子氏は6歳の時に渡米して11年後に帰国しており、日本語の通訳が必要だったと言われていますから、どうでしょうか。

さて、それでは「一万円札」の渋沢栄一氏ですが、「戒名」はあります。
「泰徳院殿仁智義讓青淵大居士」すごい戒名ですね。
東京の台東区に渋沢家の広い墓所があります。

江戸幕府の最後、しかも、日本史上の最後の征夷大将軍
徳川 慶喜(とくがわよしのぶ)と同じ谷中霊園にあるのですが、実は、渋沢栄一氏が若いときに使えた旧主が徳川慶喜なのです。奇遇ですね。

裏話になりますが、渋沢栄一氏は何度も肖像候補に選ばれているのですが、当時は偽装防止のために髭のある人物を使っていた為採用されなかったといいます。

そういえば百円札から一万円札まで聖徳太子でしたね。

技術の進歩から女性が選ばれるようになったという事なのでしょう。

その「五千円札」の津田梅子氏ですが、お墓は東京都小平市に在る津田塾大学の構内にあり「洋型」で正面に「UME TSUDA」と彫られています。
うめ(むめ)が漢字表記にかわる際に梅子にしたそうで、戒名は無いようです。

最後に「千円札」の北里柴三郎氏のお墓は東京都港区の青山霊園にあります。
墓石には男爵 北里柴三郎之墓と彫られています。

北里柴三郎記念館は、熊本県阿蘇郡小国町の学びやの里内にありますが、
伝染病研究所の設立は福沢諭吉らの援助を受け、諭吉の没後の1917年、諭吉による長年の多大なる恩義に報いるため、慶應義塾大学医学部を創設とあり。

あの黄熱病研究で有名な野口英世氏が亡くなった際の葬儀委員長も務められたとあります。

銀行券の肖像画になるほどの著名人は歴史上でもつながりがある事に驚きました。